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[854] 紫陽花ペンギン亭主 [関東] 2008/05/11(Sun) 12:02
 拙著『インドの「多元論哲学を読む」----プラシャスタパーダ『パダールタダルマ・サングラハ』』(春秋社)が出来上がりました。書店には来週の半ばあたりから出回ると思います。このシリーズの最終巻『インド哲学の教室』も、あと1ヶ月で刊行の予定です。乞うご期待。








[853] 紫陽花ペンギン亭主 [関東] 2008/05/02(Fri) 10:09
 一昨日は、バスツアーで飯能の奥の山中にある竹寺こと医王山薬壽院八王子に行き、普通のお寺のとはかなり趣向の違う精進料理をいただきました。今回は筍が目玉でしたが、近辺の山中に生えている野草や木の実など、珍しいものばかりでした。薫風を体に受けての食事、おいしうございましたですわ。








[852] かりん [関東] 2008/05/01(Thu) 23:14
ペンギン先生

お答えをありがとうございました。親族への戦という究極の場面だからこそ、本分としてのダルマをはたす、という意味をより深く考えることになりました。天界よりも地上の享受?と、この部分を短絡して受け取り、迷路にはまってしまいました。この場面での本務への専心…。究極の行為の放擲であることが、ようやく納得できました。感謝いたします。








[851] 紫陽花ペンギン亭主 [関東] 2008/05/01(Thu) 15:47
かりんさま

 武人(クシャットリヤ)は、名を重んじなければならない決まりになっているということで何の問題も無いのではないでしょうか。武人の本務(スヴァ・ダルマ)は、怯むことなく敵と戦うことですから。行為ヨーガの要諦は、結果を顧みることなく本務に専心すれば、最高神はこれを喜び恩寵を下してくださる、ということです。








[850] かりん [関東] 2008/05/01(Thu) 12:32
ペンギン先生、はじめまして。このページに出合えて、とても幸せな気持ちです。いま大学に通えなくても、このような講座や論文を読ませていただけるなんて。インターネットの害も多々ありますが、恩恵も深い…としみじみ思います。ありがとうございます。

『バガヴァッド・ギーター』のある部分について質問させてください。18章すべてを通じて、クリシュナは、最高神に専心しつつ行為し、その果実は放擲せよ、すべて平等の境地にたて、とアルジュナに説いています。無常なるもののはかなさと、不変なるものとの対比も鮮やかです。そのなかで、どうしても躓いて納得しきれない箇所があります。第2章の34から37を中心とする対話です。「人々はあなたの不名誉を永遠に語るであろう。」「不名誉は死よりも劣る」「勇士たちは、あなたが恐怖から戦いをやめたと思うであろう。あなたは彼らに敬われていたのに、軽蔑されることになろう」「またあなたの敵は、語るべきでない多くのことを語るであろう。あなたの能力を難じながら。これほどつらいことがあろうか。あなたは殺されれば天界を得、勝利すれば地上を享受するであろう。それ故、アルジュナ、立ち上がれ。戦う決意をして。」

ダルマの遂行と、真実に基づいた行為の正しさについては理解できるつもりです。ただ、無知なる人間からもたらされる軽蔑や不名誉を、「これほどつらいこと」と語る意味があるのだろうか?まったく矛盾した境地ではないか?と不思議な思いです。さらに、天界と地上のどちらを目指すべきかは、「ギーター」を通じて明らかですから、天界を得られるのであれば「殺される」ほうがましだ、というアルジュナの思いは、勝利して地上を享受するよりよほどクリシュナの教えに添っていると思えてならないのです。私の読み方がまだまだ浅いゆえと思いつつ、もしお許しいただければご教唆くださいますでしょうか。








[849] 紫陽花ペンギン亭主 [関東] 2008/04/18(Fri) 19:11
 カラスノエンドウさま

 「くがだち」のこと、博学でいらっしゃいますね。参考にさせていただきます。

 さて、拙著『インドの「二元論哲学」を読む----イーシュヴァラクリシュナ『サーンキヤ・カーリカー』』が刊行されました。古いガウダパーダによる註も全訳してあります。書店には来週前半に出回ることと思います。
 精神(心ではない)原理と非精神原理とを峻別するインドの二元論哲学は、デカルトの二元論哲学とかなり違いますので、興味のある方には面白いと思います。ぜひご一読を。








[848] カラスノエンドウ [東海] 2008/04/17(Thu) 19:41
ペンギン 先生

失礼します。
『インドの「一元論哲学」を読む』を拝読いたしました。
たいへん、面白く読ませていただきました。
註釈の小さなお話も面白く、ハンサ鳥がミルクと水が混ざっているなかからミルクだけを取り出せるとか(まるでマックスウェルの悪魔ですね)、古代インド人が荻野式レベルで受胎に適した時期を知っていたとか、空が青いのは錯覚であると認識していたとか、改めてインド人の科学的知見に驚きました。

「くがだち」のことに触れておられましたが、神聖裁判は王朝時代に廃れたものの、鎌倉時代に復活し、江戸時代くらいまで行われていたと読んだことがあります。
室町時代には起請文を焼いてその灰を飲み、沸騰している釜の中の石をとらせて手に傷が付いたかどうかで起請の真偽を判定する、湯起請が行われていたそうです(新しい文献が見当たらなかったのですが、瀧川政次郎『日本法制史研究』(昭五十七年 名著普及会)の51−52頁、杉山晴康『日本法史概論』(成文堂 昭和五十五年)201頁))。

お邪魔しました。





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