ふにゃふにゃ日記もリニューアルしました。過去の日記はこちら


Page: [0]
ちょっと秋なんですね
□ 2002/10/11(Fri) 02:07:21

最近ちょっとした機会があって
持っているビリージョエルのアルバムをすべて聞き返した。
ストレンジャー、素顔のままで、リバーオブドリーム・・・・
詩の内容を確認しながら聞いた。

とてもストレートな詩の世界に、すぐに引き込まれた。
音楽だけならほかにも好きなアーチストはいるが、
詩の世界に入り込めるのは、他にそういない。

ビリージョエルの歌を聴くことによって
久しぶりに、自分と向き合う機会になった。

いま、私のかわいい後輩たちが
死や、自分の存在について想い、悩んでいる。

傍らで見ていることしかできない、もどかしさに苛立ちを覚え
なんと声をかければいいのか分からない無能さと臆病さで
自分の思う限りのことを伝える。

精神科でのキャリアもある。
悩みを持つものへのスタンスも持っている。
話を聞き、時がたち、消化されるのを支えることもできるだろう。

でもそれじゃだめなんだ。

いや言い換えると、そんなことをしたいんじゃないんだ。

自分の中にこみ上げてくる熱い思いを伝えたいんだ。
ビリージョエルの曲をきいていてそんな自分に気づいた。

北海道はもう秋も深まり、窓から見える山々も秋の顔をしている
季節の足音を実際に聞いたことはないが
もし今聞くことができるなら
何かを追いかけるように足早な足音に聞こえるかもしれない

今日は無力な自分に苦笑いし、純粋なあの子たちを想いながら
その一人にプレゼントされた。新しいアルバムを聞いて寝ることにしよう。
少しは、明日がましに想えるから。
日本代表、予選突破と敗退していった国々に寄せて
□ 2002/06/15(Sat) 06:03:26

 サッカーというスポーツを創ったのは誰なのだろう。
 それがどんな人物であれ、天使もしくは悪魔のささやきによって導かれたのではないだろうか。


 サッカーのルールは基本的に単純である、手を使うことなく相手のゴールにボールを入れるだけ。
 ただそれだけのスポーツのはずなのに、なぜこんなに熱くなるのだろうか。
 サッカーのフィールド上には、芝とラインとゴールしかない、そのシンプルさからか、そこで起きることは、恐ろしく単純で、とてつもなくドラマチックだ。
 今大会、いったいどれほどのシュートが、ゴールポストやゴールバーにはじき返されただろう。
 あるものは、天を仰ぎ、あるものは胸をなで下ろしたことだろう。
 そのとき多くのものは思うはずだ。「後数センチずれていたら、いやあと数センチゴールが大きければ・・・」またあるものはこう口にするかもしれない「神様・・・」
 なぜあんなに細いゴールの枠にボールがあったってしまうのだろう。
 ゴールポストの幅なんて、ゴールそのものに比べたら些細なもののはずだ、それなのに大切なシュートがゴールにはじかれてしまう、なぜだろう
 それは、きっと天使か悪魔が人智の及ばない計算でゴールの大きさを決めたからだろう。
 彼らは、選手やサポーターの気持ちをもてあそぶのが好きなのだ。

 そんな今大会、早々と優勝候補たちが、ワールドカップから去っていった。
 多くの国が、失意のまま本国へ帰ることとなったが、私の愛してやまないフランスはその中でも一際、失意のブルーに身を染めている。
 敗退が決まったとき、フランスからの中継で街角の女性がインタビューでこう答えていた「悲しいけどしょうがない、それがサッカー、それが人生よ」
 どこかで聞いたことのあるフレーズだった。
 あれは、何年前になるだろうか、70年代から80年代のフランスの天才プレーヤー「プラティニ」がワールドカップについてコメントしていたときの一節だ。
 その当時プラティニ率いるフランスはインテリジェンスあふれるサッカーでワールドカップでも優勝候補に挙がっていたが、一度もその手に優勝カップを手にすることはなかった。
 それについてプラティニが語った言葉が「それがサッカー、それが人生」だったと思う。
 その言葉が、フランスサッカーの哀愁となって私の胸に押し寄せてくる。
 ファンタスチィックで、速く、美しい、でも決していつも勝つわけではないサッカー。
 その変わらないスタイルが、日本の空と違いどこか遠く感じるフランスの空のブルーにとけ込んでいる気がする。
 困った・・また少しフランスが好きになってしまった

 そして、日本、決勝トーナメント進出おめでとう。
 柄にもなく、感動にふるえてしまった。
 このまま、羽の生えた奴等の悪ふざけにあうことなく、勝ち進んでもらいたい。
 この感動、この興奮、サッカーの魔性に日本国中が魅入られればいい。
 にわかサッカーファンが多いようだけれども、それでもいい。
 中山の歌が歌えなくったっていい、解説をしている過去の数々の名プレーヤー達をただのおじさんだと思っててもいい。
 一度サッカーの魅力を知ってしまったら、もう離れなれないはずだから。
 きっと、この先ずっと、サッカーの熱にうなされ続け、感動し、涙し、悔しがり、失意の底に押しやられるはずだ。
 私はそう思う。
 なにせ、それは天使や悪魔が創るストーリーだから。
コンフェデレーションカップを終えて
□ 2001/06/20(Wed) 13:33:51

1998年7月12日 パリ、シャンゼリゼ

私はこの日、通りに面したカフェで、ペプシを飲んでいた。
本当はコカコーラが飲みたいのだが、なぜかどのカフェにもコカコーラはおいていない。
天気は快晴で、散歩やショッピングには最適だったが、なぜかこの日シャンゼリゼは人通りが少なく、見かけるのはまばらな観光客だけだ。
 しかもこの日、通りに面した地下鉄(メトロ)の構内や入り口、各交差点には、自動小銃を持ち、シェパードをつれた警官隊が配備されている。
だが、しかしその物々しさとは対照的に彼らの顔には笑顔が見て取れ、道行く私たちにも友好的だ、時折トランシーバーではなされる会話の中に「ジダーンヌ・・・」と聞き取れたのは気のせいだろうか
 そんな通りのもようをみながらカフェに入ったが、この日ホテルからこのカフェにはいるまで、私は警官隊や観光客のほかには、二通りの人にしか会わなかった、一つはトリコロール特にブルーに身を包んだ人たち、もう一つはイエローのシャツを着サンバを奏でている人たちだ。その両者とも活気がありうつむいている人など一人もいなかった。
 そんな中私の関心事はというと、シャンゼリゼの土産のことや、ルーブルまでは歩いていくか、メトロを使うかなどでは全くなく、カフェのウエイターの頬に塗られたトリコールの模様と、カフェの中や奥から聞こえてくる歓声とため息だった。
 
 そうこの日は、フランスワールドカップ決勝戦、地元フランス対ブラジルの日である。私は、ダフ屋でも出るだろうと踏んでいたが、決勝のカードがフランス対ブラジルという今大会最高の盛り上がりを見せるであろうカードなってしまったため、試合をスタジアムで見るのはあきらめ、こうしてシャンゼリゼのカフェでペプシを飲むことにしたのである。
 ホテルでTVを見ていてもよかったが、町の空気を感じたくて、こうして出てきたのだ、ちなみに私の泊まったホテルは、ブラジルのサポーターの基地で、大会期間中、毎日朝晩食事の時は、ポルトガル語でブラジルが一番だと聴かされた、奴らは普段着も寝間着もブラジルのユニホームだ。
 
 私は、ペプシを飲みながら、少し、カフェなどの入らず、エッフェル塔にある大型ビジョンで観戦した方がよかったなかなと思ったりしていたが、カフェの歓声がひときわ大きくなったあと、私はそこをあとにした。
 通りの警官隊も喜びを隠そうとはしていない、シェパードもこころなし、うれしそうだ 朝食事をともにした、陽気なおじさんには悪いが、試合はフランスが勝利し優勝した。そして、程なくして、フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」が、各メトロの出入り口、大きな通りから聞こえてくる。それを歌っているのは、今までスタジアムや自宅、思い思いの場所で試合を観戦していたサポーター達だ。
 シャンゼリゼ通りは、コンコルド広場からシャルル・ド・ゴール広場にかけてのフランスでもっとも有名な通りだ、そしてそのシャルル・ド・ゴール広場には、凱旋門があり、この凱旋門はナポレオンが1806年に戦争の勝利の凱旋のために、建築に着手したのだが、完成した頃にはナポレオンは失脚、この凱旋門をくぐったのは遺骨となってからだった。
 そんな勝利への夢がこの凱旋門にはあるのだ。そこに今フランスのサポーターが集まってくる。あるものはユニホームに身を包み、またあるものは顔にペインティングをし、大きな旗を振り、みな誇らしげに、ラ・マルセイエーズを歌っている。
 フランスサポーターにとっての夢の凱旋。フランスサッカー史を紐解いてもその言葉がぴったりとくる。
 先の警官隊はこのサポーターたちの安全を確保するためのもので、通りは暗黙の歩行者優先道路となり、車両も入ってくるが、そこには溢れるばかりにサポーターたちが乗り上に上がり雄叫びをあげている。
 私もその列に混じり、歩いてみる。日本人であることの違和感を感じながらも。
 その空気、その熱さはいつまでも忘れられない
 その日、凱旋門を占拠したサポータたちは、深夜になってもその数が減ることはなかった。

 時は変わって、今年コンフェデレーションカップが日本であり日本が準優勝、来年のワールドカップに向けよいはずみになった。そしてこの大会の優勝はフランス、日本は善戦はしたが、圧倒的にフランスの方が強かった、世界一流のプレイヤーが何人か出ていないのにもかかわらず。
 ナショナリズムというのは時として、悲惨な事件を引き起こすが、あのシャンゼリゼの風景を思い出すたびに思う。サッカーは歴史のある国には勝てない、惜しい試合や、善戦すること、ひょっとしたらまぐれで勝つことがあるかもしれない、しかし、決してサッカーの大国より強くなることはできないのである。
 そこには国民の狂気にも似た情熱があるのだ。
 インテリジェンスあふれる「ジダーンヌ」のプレーヤ、堅実な「デサイー」のプレーを見るたび、その背後にあの熱狂的なサポータ達のエネルギーを感じるのである。
 
 2002年ワールドカップ、日本は世界サッカーの空気にふれ、同じようにサッカ−に対する愛情を示せるのだろうか、あのシャンゼリゼとはいかないまでも。
色々とありました
□ 2001/04/21(Sat) 20:39:31

更新が、大幅に遅れてしまいました。
遅れた原因は、多々ありますが、大きくはとってもプライベートなことで、しばらく何もする気が起きなかったことと、仕事で部署が変わったので、それに適応するのが大変なことの二つ。
そう私は、精神科から脳神経外科へ移動になったのさ、今は脳神経外科の看護士さん。
色々覚えなくてはならないことや、やり方の違いに適応しなくてはいけないことなど、多くて大変だ。
 でも精神科の看護を忘れたわけではないので、それらのメールも待ってるよ、メールでの質問は、具体的に書いてね。じゃないとめちゃくちゃ、抽象的になるから。

 おっと、更新が遅れた理由で忘れてはならないのが、ハードディスクから煙が出たこと、それで大切なデータが全て逝ってしまった。
 ネットに接続するまでに回復するのに莫大な時間を費やし、遠い記憶をたどる旅をした。今現在やっと復旧してとても満足しているが、まだどこか調子が悪い、っていうかATOKの日本語変換がぜんぜんだめだ、意外とこういうのってちゃんとカスタマイズされていたのね。これからどうしたものか。

 さて、今回の更新は、見て分かるとおり「トップページのリニューアル」結構デザイン的に好評だったのだけど、重たいし環境によってはエラーが出たりするので、思い切ってデザインを変更、そのうちほかの部分にも着手しなくては。感想聞かせてね。
IT革命
□ 2001/01/11(Thu) 05:42:39

 21世紀になったけれど、自分の身の回りはあまり代わり映えしない、何だかやることは一杯だし、机の上は本やらコピーした資料で埋まっている。
 なんだか、IT革命とか言ってるけど、私の部屋のIT革命はしばらくこないらしい、インターネット上の情報検索だって、本当に知りたい情報にたどり着くことはまれだもんね。
 だからいつも莫大な時間と労力が必要になってくる。あー楽したいよー。

 そういえば、元旦からうちの精神科の温度板を変えてみた、クリティカルパスの導入なんかの影響で、記録の記載の見直しをはかり、リスクマネージメントや業務の最適化を考えつつ作成したのでうまく活用できればいいなって思うけど、クリティカルパスのように疾患に特化したものではないので、そちらと比べると若干、記載に利便性が薄くなってしまう、もちろんそれは、汎用性と専門性の差の特徴でしかたがないのだけど、実際に活用するスタッフはどこまでそういった理解がなされるのか難しいかなって思う。誰だってより使い易いもの外いいもんね。
 こうやって2000年も色々突っ走ってきたけど、結構持ち越した課題がある。
 何も考えずに眠れるにはくるのだろうか。

 最近、まわりでパソコンを持っている人が多くなった、数年前まで交わされることなんてなかった、CPUのクロック数やHDの容量、OSのバージョンアップなど、コンピューターを知らない人にはおよそ暗号にしか聞こえない、単語が飛び交うようになってきた、なんか携帯の普及もあって、Eメールなんか普通だし、っていうか、Eメールなんて言わずに、単にメールと言ったらEメールのことを指すようになったこと自体おかしい、だいたいメールはそのまま訳したら、ただの手紙だろと思うのだけどそんな硬いこと言っていたら今のIT革命だか、なんだかに乗り遅れそうで怖い。
 
 こうやって2001年も過ぎていくのだろうか。
もうすぐ21世紀だね
□ 2000/12/28(Thu) 05:46:11

 知らない内に、カウンターが30000をこえていた。
 1年半で30000アクセスと言うのは、ちょっと驚いている。
 はじめは、どうせ何年経っても1000アクセス越えないと思っていたのに、きっとストーマに関する情報などがまだまだ不足しているということなのだろう。そう思いながらも、サイトの充実が出来ず訪れて下さっているみなさんに悪い気がする。
これからは少し力を入れていこうかなって思う。

そういえば、この間、病院の交友会主催のクリスマスパーティーで部署の数名と余興でパラパラを踊った、なんかミッキーマウスのヤツ、もう歳なのかなかなか覚えられないし体がついていかない、それでも2週間にわたる特訓の甲斐あり本番は何とかなった、それにしても、その時にミッキーのかぶり物を作ったのだがこれがまた泣きたくなるほど大変だった、苦労しても出番はほんの1分くらい、よくテレビでカットされて辛いと言うが何となく分かった気がした
ちょっとサッカー
□ 2000/12/01(Fri) 00:32:13

20世紀もあと少しで終わろうとしている。
今日ちょっと、時の経つのって早いなって感じた。でもそれは仕事のことや家族のことなどから感じたのではなく、名古屋グランパスの「ストイコビッチ」の会見を見て感じたのである。
はじめてストイコビッチを見たのは忘れもしない、あれは今から10年前、イタリアワールドカップ、準々決勝そのグランドのピッチに若きストイコビッチは立っていた。
ユーゴスラビア対アルゼンチン、アルゼンチンは前大会の優勝チームであり、イタリア大会大本命のブラジルを破って勝ち上がってきた、そしてそのチームを率いていたのが、天才「マラドーナ」
前評判は、アルゼンチン有利、また結果もアルゼンチンのPK勝ちとなった。
しかし、そのピッチ上、最も輝いていて、美しく、ファンタスティックだったのは、マラドーナではなく、ユーゴスラビアの若手ストイコビッチだった。個人技の南米、組織のヨーロッパというイメージを一蹴するそのユーゴスラビアの攻撃はマラドーナのそれを遥かにしのいでいた。
そして私が一生忘れられない一瞬が起きた、ユーゴスラビアの攻撃、アルゼンチンのゴール前でボールがこぼれ、ストイコビッチの足元へ落下してきた。その瞬間ピッチ上の選手、スタジアムのサポーター、TVを見ていた何億人もの人が、落下してきたボールそのままシュートする姿をイメージした、事実ストイコビッチは、シュートモーションからボールを右足にとらえた、アルゼンチンのDFがシュートブロックに飛び込んだ瞬間、ボールはストイコビッチの右足に吸い付いたまま止まった。
DFがコースから飛び去ったあとストイコビッチは悠々とゴールへボールをけりこんでしまった。
私を含め、観ていた全ての人がだまされ,そして魅了されたことだろう。しかし皮肉にも、その試合のPK合戦は、ストイコビッチがゴール左上のバーにボールを当て失敗、試合を落としてしまった。
失敗し、振り返った表情は、あのシュートと共にずっと私の記憶の中にある。
そんなストイコビッチが来期限りで引退を表明した。今年初め、ストイコビッチは、リーグのタイトルが欲しいといっていた、しかし今年はタイトルが取れず、開幕戦では、アルゼンチン戦と同様にPKを外していた、まるでリプレーを見ているようで、振り向いた表情もあの時とシンクロした、ただそこに映っている彼は、少し顔にしわが増えていた。
あれから10年、時の経つのは早い、戦争さえなければユーゴスラビアは後の大会で優勝できたのではないかと私は考える。
しかし、PKを外し、振り向く彼の表情からは、いいゲームをしても,試合には勝てない、いいときもあれば、悪いときもある。それがサッカー、そんな声が聞こえてきそうなのである。
もしかすると人生に似ているのかもしれない。会見中のストイコビッチの顔は人生を楽しんでいる人のそれだった。10年前の私はどんな顔をしていて、10年後はどんな顔をしているのだろう。
できればストイコビッチのような、顔をしていたいと思う。

とっても、がんばるナースっぽくない日記になっちゃったな、これじゃサッカーのサイトじゃん。でもまっいっか、外は吹雪だし
4ヶ月ぶりの更新です
□ 2000/11/05(Sun) 05:20:33

なんだか、更新が非常に遅れてしまっていた。
忙しさは以前と変わらないもの
このホームページにかかわる時間が少なくなっていた。
でもその間、CGIやJavaスクリプトなんかの見直しと勉強をしていたので気にしていなかったわけではない。

そういえば、私の病院でも、クリニカルパスを導入し始めている。
外科でははじめにラパコレのパスを作りようやく実施にこぎつけた。その成果はもう少し経過を見なくてはならない。
して、なんと精神科でも取り入れることにした、というかもう既にアルコール依存症については完成し使用している。現在鬱のパスを作成中だ。でもこれは一筋縄では行かない。
どうも眠れぬ日々が続きそうだ。あーよく考えたら先週1週間で2時間しか寝ない日が4日あったな。今日はこれを書いたらもう寝よう。って朝だよ今。
Page:[0]


表示件数:
(現在8件中/10件/Pageで表示をしています。)





EDIT By CJ Club