礼拝メッセージ集


戻る管理者用

  目標を目指して〜心にはしる    ヴォルケ師 [ホッテンバッハ師]
2009.11.22
ピリピ 3章12〜14節

私たちは、いつも時計を見て、時間が早く過ぎることに悩んでいる。
私たちは、いつも時間の支配のもとに生きている。
1日が24時間。これは全ての人に平等である。
しかし、それを何のために、どのように使うかは、ひとり一人の問題である。
人生の長さよりも、人生に与えられた時間をどんな目標に向かって生きていくのかが重要である。

イエスは、33歳くらいで十字架にかけられた。
それは、短い人生だったが、彼は十字架の上で、「完了した」と言った。
イエスは、神のすばらしさを人々に伝え、人々の罪を背負って十字架にかけられた。
私たちの救いに必要なことをすべてやり遂げて、目標を達成し、『完了した』のである。

あなたは、どのような目標、何のために生きているのかを考えたことがありますか。
若いひとたちだけでなく、いくつになっても人生の目標を考えることは大切である。

  私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。
  ただ捕らえようとして、追求しているのです。
  そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。
  (ピリピ3章12節)

パウロは、『私はまだ完了していない』と言っている。
彼は、神学者の博士だった。彼はユダヤ人として、旧約(ユダヤ教)の律法を守ろうとした。
彼は努力家で、一生懸命に生きてきた。十分に誇れる生き方をしていた。

  ただし、私は、人間的なものにおいても頼むところがあります。
  もし、はかの人が人間的なものに頼むところがあると思うなら、私は、それ以上です。
  私は8日目の割礼を受け、イスラエル民族に属し、ベニヤミンの分かれの者です。
  生粋のヘブル人で、律法についてはパリサイ人、
  その熱心さは教会を迫害したほどで、律法による義についてならば
  非難されるところのない者です。
  (ピリピ3章4〜6節)

パリサイ人は、ユダヤ教の中で一番熱心だった。そのため、キリスト教の教えはユダヤ教にとってよくないとして、キリスト教を迫害した。
パウロはイエスを知ってからは、そのすばらしさに気づいて改心した。
パウロは、『私は前にあったことを忘れ、誇ることをしません』と言っている。

  私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、
  いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、
  それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、
  キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、
  キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、
  神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです。
  (ピリピ3章8〜9節)

人間の努力は神の前では無である。信仰に基づいて神から与えられる義に頼ることが大切である。
熱心に努力する人は、かえって、その熱心さが神に頼ることを邪魔する。
私たちも、イエスのように人々を愛し、神を愛し、イエスのように人々に神のすばらしさを伝えるのである。

また、パウロは死後のことについても希望を持っていた。
イエスが死後3日目に蘇ったように、イエスを信じる者は死んでも生きると信じていた。
イエスは再びこの世に来る時に天国への道が開かれる。
あるいは、死後の世界は、時間の支配から解放されているので、神の元へ行けるのである。

  兄弟たちよ。私はすでに捕らえたなどと考えてはいません。
  ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、
  ひたむきに前のものに向かって進み、
  キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、
  目標を目指して一心に走っているのです。
  (ピリピ3章13〜14節)

神が私たちのために用意してくれた『神の栄冠』−永遠の命ーを得ることが目標である。
もうすぐ、バンクーバーオリンピックが開催されるので、世界中のアスリートたちが、金メダルを目指して努力をしている。
これは、これでとても良いことだが、人生において長い目で見ると、朽ちていく事のため、この世のことのためにだけを目標にしていると、
私たちは、死を恐れるようになる。
神は私たちに一番すばらしいことを準備してくださっていること、「永遠の命が与えられる」ということを目標にすると、この世のかんなんに耐えることができるようになる。
死を乗り越える希望がある。

このすばらしい、「永遠の命を得る」ことを人生の目標として、みなさんが歩むことができるように、祈ります。



  
  


NO.192:2009/11/23 (mon) 16:23



  大きな変化 ヴォルケ師 [ホッテンバッハ師]
2009年11月15日 
使徒の働き14章8-10節

私たちの人生にはいろいろな大きな変化があります。
生まれて成長し,小学校に入り,中学校に入り,大学生になり,仕事をし,結婚するかもしれません。
どんな仕事に就き,誰と結婚するかなどということは,人間が選べる変化です。
仕事を失ったり,病気になったりすることは,人間には選ぶことができない大きな変化です。

聖書の中からある人のことを読みます。
この人は生まれつきの病人で,足がきかない人で,一度も歩けなかった人です。
しかしその人の人生に大きな変化がありました。

8:ルステラでのことであるが,ある足のきかない人がすわっていた。
彼は生まれながらの足なえで,歩いたことがなかった。

トルコの南の町ルステラで,足のきかない人がいた。
元気な人は病気になることはよくあります。
しかし生まれつき病気の人が元気になることは人間の力ではできないことです。

身体障害者から元気な人への変化

9:この人がパウロの話すことに耳を傾けていた。
パウロは彼に目を留め,いやされる信仰があるのを見て,

この病人はパウロの話を耳を開いて,心を開いて,興味深く聴きました。
パウロはその病人に,イエス様が足なえを癒した話をしたかもしれません。

屋根をはがして天井から足なえをイエス様の前に下ろしました。
その時イエス様はその病人を見て,「あなたの罪はゆるされた」と言われました。
イエス様は病気だけではなく,その人の全てを見られて,彼に「あなたの罪はゆるされた」と言われたのです。
周りにいた人々は「人間には罪をゆるす力がない」と言いました。
イエス様は「罪はゆるされた。立ち上がって歩きなさい」と言われ,病人はふとんをたたんで,家に帰りました。
イエス様は人の心,人の罪,体を癒すことのできるお方です。
そのために十字架で自分の命を身代わりとして捧げられました。
このことを信じる人は永遠の命を持つのです。

パウロはその病人にその話をしたかどうか分かりませんが,その病人はパウロの話を良く聴き,癒される信仰をもっていることにパウロは気が付きました。
その病人の表情から,または聖霊の導きによって,その人が癒される信仰をもっていることを知り,「立ち上がりなさい」と言ったのです。
それはパウロにも大きなチャレンジでした。
今この人を癒すことができると確信して,パウロは「立ち上がりなさい」と言いました。パウロは神様の助けを信じてこの病人に大きな変化をもたらしたのです。

病人は信仰によって行動した

10:大声で,「自分の足で,まっすぐに立ちなさい。」と言った。
すると彼は飛び上がって,歩きだした。

信仰は心のことと思っているかもしれませんが,行動につながらないなら何もなりません。
信仰によって行動する,話すことが大切です。
御言葉を聞き,日曜礼拝していても,日常生活で何も生かされないなら,意味はありません。

11:パウロのしたことを見た群衆は,声を張り上げ,ルカオニヤ語で,「神々が人間の姿をとって,私たちのところにお下りになったのだ。」と言った。
12:そして,バルナバをゼウスと呼び,パウロがおもに話す人であったので,パウロをヘルメスと呼んだ。

人々はこの奇跡は人間の力ではないと分かりました。
神々が自分たちの所に下って来たと思いました。
当時の人々の神々はギリシャ神話の神々で,最高神であるゼウスとその子ヘルメスが下って来たと思ったのです。

13:すると,町の門の前にあるゼウス神殿の祭司は,雄牛数頭と花飾りを門の前に携えて来て,群衆といっしょに,いけにえをささげようとした。
14:これを聞いた使徒たち,バルナバとパウロは,衣を裂いて,群衆の中に駆け込み,叫びながら,
15:言った。
「皆さん。どうしてこんなことをするのですか。
私たちも皆さんと同じ人間です。
そして,あなたがたがこのようなむなしいことを捨てて,天と地と海とその中にあるすべてのものをお造りになった生ける神に立ち返るように,福音を宣べ伝えている者たちです。

信仰によって信頼をもって行動する

偶像零拝から真の神への礼拝への変化

パウロは「私たちは天から下った神ではなく,ただの人間です。
そして全てのものを造られた真の神のことを話しています。」と言いました。

真の神を知らないなら人間的な偶像礼拝は空しいのです。
このような空しいことを捨てて,天と地を造られた神に立ち返るように。
その神は人間より前に存在し,永遠に存在し,人間はその神に造られたのです。
最初の人間はサタンに騙されて真理から離れ,偶像を造って礼拝しました。

16:過ぎ去った時代には,神はあらゆる国の人々がそれぞれ自分の道を歩むことを許しておられました。
17:とはいえ,ご自身のことをあかししないでおられたのではありません。
すなわち,恵みをもって,天から雨を降らせ,実りの季節を与え,食物と喜びとで,あなたがたの心を満たしてくださったのです。

使徒の働き17章30節
神は,そのような無知の時代を見過ごしておられましたが,今は,どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。

神様はどんな国の人にでも,どんな宗教の人にでも,悔い改めるよう命じておられます。そして御言葉を全世界に宣べ伝えなさいと命じておられるのです。

偶像礼拝は「0拝(ぜろはい)」であり,空しいことであり,何の力もありません。
人間の作った神々はどんなに拝んでも人々の声を聞いてはくれません。
空しいものを拝むことを止めて,真の神を信じ,礼拝しましょう。
イエス様だけが私たちに救いと永遠の命を与えて下さいます。
罪をゆるし,心の平安を与えて下さいます。
偶像礼拝から真の神への礼拝というこの大きな変化を経験したなら,他の人々に証をしましょう。
イエス様は全ての人々が救われることを切に望んでおられるのです。
NO.191:2009/11/17 (tue) 14:28



  生きている教会 Part 4〜神の恵みを管理する民 [ホッテンバッハ師]
2009.11.8
第1ペテロ4章7〜11節

  
  万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整えて身を慎みなさい。
  何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。
  つぶやかないで、互いに親切にもてなし合いなさい。
  それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、
  その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。
  語る人があれば、神の言葉にふさわしく語り、奉仕する人があれば、
  神が豊かに備えてくださる力によって、それにふさわしく奉仕しなさい。
  それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。
  栄光と支配が世々限りなくキリストにありますように。アーメン。
  (第1ペテロ4章7〜11節)


1.それぞれが賜物を受けている民

a)神のさまざまな恵みに預かっている
 神様から私たちへのアドバイス
 ・互いに愛し合いなさい
 ・互いに親切にもてなし合いなさい。
 ・互いに仕え合いなさい。

 私たちは神から、それぞれが賜物を与えられている。
 その恵みの管理者として賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。

b)受けている賜物はそれぞれ違っている。
 教会をオーケストラに例えると、一人ひとりは、それぞれの楽器である。
 ある者は、大きな音、ある者は、小さな音。
 音色もひとつ一つ違っているが、みな、神から与えられているのだから、どれが立派ということはない。
 そして、指揮者は牧師ではなく、神さまである。
 神は、神の家族として一人一人に大きな信頼と期待を持っていてくださる。
 
c)与えて下さる主は同じ主です!
 賜物は霊的ギフト、恵みのギフトである。
 「ギフト」というのは、プレゼントなので自分では選べない。
 クリスチャンは一様ではない。同じユニフォームではない。
 それぞれの人格、スタイルを尊重し、手造りされている。
 バラエティがあるからこそ、生き生きとした交わりができる。
 賜物は一人ひとり違うが、与えてくださる主は、同じ主であるから、
 同じ価値があり、同じ目的がある。

2.その賜物を用いている民

a)それを使うために与えられている
 賜物は用いるために与えられている。
 「用いるために」→それは、神の栄光を現すために

b)それに仕え合うために与えられている

  あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい
  (マタイ20章26節)

c)みなの益となるために与えられている
 ・語る賜物は、神の御心を明らかにするため
 ・奉仕の賜物は、貧しい人や弱い人をを助けるため

 *祈る・・・とりなす。力と忍耐を得る。
 *愛する・・・主の愛を現す。
 *もてなす・・・心を開いて、相手を受け入れる。

3.神の良い管理者として

a)ふさわしく奉仕するとは・・・
 ・形だけ、見せかけだけであってはならない。
 ・どんなに小さな奉仕でも、感謝をもって忠実に行う時、神がその人を通して働いて下さる。
 ・自分は弱いと諦めなくても良い。
  神は、私たちの弱さの中にこそ、働いてくださる。
  →弱い時こそ、強い。

神が豊かに備えてくださる力によって、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。

  こういうわけで、私たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさい。
  この場合、管理者には、忠実であることが要求されます。
  (第1コリント4章1〜2節)


 
NO.190:2009/11/11 (wed) 05:15



  「生きている教会 Part 3 - 神の目には選ばれた民」 [ホッテンバッハ師]
 2009年11月1日 
第1ペテロ2章1-10節

選ばれたとはすごいことです。
私は12歳の時,イエス様を救い主として受け入れました。
16歳の時,洗礼を受けました。
ある時私はイザヤ書49章を開けて
「わたしはあなたを諸国の民の光とし,
地の果てにまでわたしの救いを
もたらす者とする。」
という御言葉を読みました。
これは私のことでしょうか。
18歳の時,牧師から「日本で今若者が必要なので行きませんか」
と言われて,私は日本は言葉が難しい,他の人が行った方が良いのではないかと思いました。
しかし,日本へ来ることにして,同時に妻も与えられました。
私は選ばれたのです,という確信を持ちました。
クリスチャンになったことは神の恵みによって選ばれたのです。
教会での生活も神様からの選びとして与えられたものと感謝しましょう。


I.選びの動機

Iペテロ2章4-10節
4:主のもとに来なさい。
主は,人には捨てられたが,神の目には,選ばれた,尊い,生ける石です。
5:あなたがたも生ける石として,霊の家に築き上げられなさい。
そして,聖なる祭司として,イエス・キリストを通して,神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。
6:なぜなら,聖書にこうあるからです。
「見よ。わたしはシオンに,選ばれた石,尊い礎石を置く。
彼に信頼する者は,決して失望させられることがない。」
7:したがって,より頼んでいるあなたがたには尊いものですが,より頼んでいない人々にとっては,「家を建てる者たちが捨てた石,それが礎の石となった。」のであって,
8:「つまずきの石,妨げの岩。」なのです。
彼らがつまずくのは,みことばに従わないからですが,またそうなるように定められていたのです。
9:しかし,あなたがたは,選ばれた種族,王である祭司,聖なる国民,神の所有とされた民です。
それは,あなたがたを,やみの中から,ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを,あなたがたが宣べ伝えるためなのです。
10:あなたがたは,以前は神の民ではなかったのに,今は神の民であり,以前はあわれみを受けない者であったのに,今はあわれみを受けた者です。

a)人間の物指しを越えている選び方

Iペテロ2章4節前

「教会」はギリシャ語で「エクレシア」と言い,呼びだされているという意味です。
教会の頭はキリストです。

イザヤ53章2-3節
2:彼は主の前に若枝のように芽生え,
砂漠の地から出る根のように育った。
彼には,私たちが見とれるような姿もなく,
輝きもなく,
私たちが慕うような見ばえもない。
3:彼はさげすまれ,人々からのけ者にされ,
悲しみの人で病を知っていた。
人が顔をそむけるほどさげすまれ,
私たちも彼を尊ばなかった。

b)「神の目には」尊い,生ける石として選ばれた

Iペテロ2章4節後,6節

イザヤ28章16節
だから,神である主は,こう仰せられる。
「見よ。わたしはシオンに
一つの石を礎として据える。
これは,試みを経た石,
堅く据えられた礎の,尊いかしら石。
これを信じる者は,あわてることがない。

生ける石の上に人生の土台を建てる人は祝福を受けます。

c)あなたがたは選ばれた種族,神の所有とされた民

Iペテロ2章9-10節

成績が良いなどの理由で選ばれたのではなく,全能の神の愛によって選ばれた人が神の民とされている人です。


II.選びの目的

Iペテロ2章5節,9節

a)生ける石として:霊の家に築き上げられるように

Iペテロ2章5節前

クリスチャンはキリストの価値ある者として受け入れられています。
教会は建物,組織,信者の数が第一ではありません。
御霊によって同じ命が与えられています。
神の清さ,望みが溢れる教会となるように。
御霊が自由に働く教会が良いのです。
選ばれた民としての目的を達するように。

b)聖なる祭司として:神に選ばれる霊のいけにえを捧げるように

Iペテロ2章5節後

ふさわしい捧げものを捧げるように。
自分の愛,信頼,喜び,平安をもって自分の全てを捧げることです。

c)神のすばらしいみわざをあなたがたが宣べ伝えるため

Iペテロ2章9節

闇から光の中へ置かれた者として福音を宣べ伝える特権があります。
真っ暗な道に一軒の家の明かりがあれば,しるし(道しるべ)になります。
神に選ばれた者として明かりをつけてください。
与えられている物を人々に与えて下さい。
家族に職場に20ワットの光を照らして下さい。


III.選びの確認(Iペテロ2章1-6節)

Iペテロ2章1-3節
1:ですから,あなたがたは,すべての悪意,すべてのごまかし,いろいろな偽善やねたみ,すべての悪口を捨てて,
2:生まれたばかりの乳飲み子のように,純粋な,みことばの乳を慕い求めなさい。
それによって成長し,救いを得るためです。
3:あなたがたはすでに,主がいつくしみ深い方であることを味わっているのです。

a)主のもとに来ることによって

Iペテロ2章4節

命の糧として主を受け入れなければなりません。
戦後,脱脂粉乳を飲まされましたが,栄養にはなりません。
純粋な乳が必要なのです。

b)すべての悪意を捨てることによって

Iペテロ2章1節

救われていない時には自己中心的な行動をしていました。
それを捨てて,神の愛をいただいて成長することです。

c)主に信頼することによって

Iペテロ2章6節

クリスチャンたちはノンクリスチャンに希望を与えることが大切です。
人間関係でつまずく人もいます。
主に従う人は生ける石の上で永遠に生きるのです。

IIペテロ1章10節
ですから,兄弟たちよ。ますます熱心に,あなたがたの召されたことと選ばれたことを確かなものとしなさい。これらのことを行っていれば,つまずくことなど決してありません。
NO.189:2009/11/02 (mon) 02:40



  ゆるがない人生とは…「賢い人となる秘訣」 [ホッテンバッハ師]
 2009年10月25日
マタイ7章21-29節

人間はみな賢くなりたい。
愚かになりたい人は誰もいない。
明治時代のことですが,日本では英語に対する憧れがありました。
ある学生が一ページ,一ページ英語の辞書を暗記し,それを飲み込んでいました。
知識だけでなく,英語を賢く使うことが大切です。
ただ流暢にしゃべれるだけでなく,内容を理解することが大切です。
毎日の行動でどのように賢く判断するか,とても難しい時があります。
後で反省することもあります。
五十年前に私たちが宣教をスタートした時のことですが,
ある宣教師が熱心な人で,一軒一軒出かけて福音を述べ伝えようとしていました。
雨の降る日,村でトラクトを配っていた時のことです。
砂利道を通って向かい側からトラックが走ってきました。
彼女は畑の岩の上に跳びました。
ところがそれは岩ではなくて肥しの中だったのです。
判断を誤ってそこに落ちました。
これは大丈夫という自分自身の判断の誤りによって,とんでもないことになりました。

自分はしっかりしていると思っているなら,自己中心くさくなるのです。

揺るがない人生とは,賢い人となる秘訣です。
「賢い」と「愚か」は,何が基準でしょうか。

箴言3章5-6節
5:心を尽くして主に拠り頼め。
自分の悟りにたよるな。
6:あなたの行く所どこにおいても,主を認めよ。
そうすれば,主はあなたの道をまっすぐにされる。

I.主の言葉を聞いて,それを行う

マタイ7章24-26節
24:だから,わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな,岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。
25:雨が降って洪水が押し寄せ,風が吹いてその家に打ちつけたが,それでも倒れませんでした。
岩の上に建てられていたからです。
26:また,わたしのこれらのことばを聞いてそれを行わない者はみな,砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。

a)私たちは神の国へ招かれている

マタイ11章18節
ヨハネが来て,食べも飲みもしないと,人々は『あれは悪霊につかれているのだ』と言い

マタイ5章3-10節
3:「心の貧しい者は幸いです。
天の御国はその人のものだからです。
4:悲しむ者は幸いです。
その人は慰められるからです。
5:柔和な者は幸いです。
その人は地を相続するからです。
6:義に飢え渇いている者は幸いです。
その人は満ち足りるからです。
7:あわれみ深い者は幸いです。
その人はあわれみを受けるからです。
8:心のきよい者は幸いです。
その人は神を見るからです。
9:平和をつくる者は幸いです。
その人は神の子どもと呼ばれるからです。
10:義のために迫害されている者は幸いです。
天の御国はその人のものだからです。

律法のもとで悩んでいる人々の前でイエス様は愛のメッセージを言われました。
人間が守れないようなこと(律法)を言われるのではなく,神の愛を伝えて下さったのです。
人間は正しく生活できないものなのです。

マタイ11章28節
すべて疲れた人,重荷を負っている人は,わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。

日常の生活の中で弱さがたくさんあります。
そういう人々は私のところへ来なさい,と言っておられます。
人々は神様に愛されているのです。

b)その招きを受け入れるのは,主のみもとに行くことです

知識として受けるだけでは愚かなことです。
本当に弱い罪深い者と自覚し,告白するなら,神の愛の光で照らして下さいます。
イエス様はあなたの手をとり,ご自分のもとへ引き寄せ,愛と赦しを与えてくれます。

イエス様はあなたのために十字架の死を受けられました。
人間の恐ろしい裁きが明らかになって,イエス様がそれを背負って死んでくださいました。
私たちがイエス様に愛される者として,人々を愛する賜物をいただけます。

c)みことばどおりにすれば,あなたの人生が満たされます

ルカ5章1-11節
1:群衆がイエスに押し迫るようにして神のことばを聞いたとき,イエスはゲネサレ湖の岸べに立っておられたが,
2:岸べに小舟が二そうあるのをご覧になった。
漁師たちは,その舟から降りて網を洗っていた。
3:イエスは,そのうちの一つの,シモンの持ち舟に乗り,陸から少し漕ぎ出すように頼まれた。
そしてイエスはすわって,舟から群衆を教えられた。
4:話が終わると,シモンに,「深みに漕ぎ出して,網をおろして魚をとりなさい。」と言われた。
5:するとシモンが答えて言った。
「先生。私たちは,夜通し働きましたが,何一つとれませんでした。
でもおことばどおり,網をおろしてみましょう。」
6:そして,そのとおりにすると,たくさんの魚がはいり,網は破れそうになった。
7:そこで別の舟にいた仲間の者たちに合図をして,助けに来てくれるように頼んだ。
彼らがやって来て,そして魚を両方の舟いっぱいに上げたところ,二そうとも沈みそうになった。
8:これを見たシモン・ペテロは,イエスの足もとにひれ伏して,「主よ,私のような者から離れてください。
私は,罪深い人間ですから。」と言った。
9:それは,大漁のため,彼もいっしょにいたみなの者も,ひどく驚いたからである。
10:シモンの仲間であったゼベダイの子ヤコブやヨハネも同じであった。
イエスはシモンにこう言われた。
「こわがらなくてもよい。
これから後,あなたは人間をとるようになるのです。」
11:彼らは,舟を陸に着けると,何もかも捨てて,イエスに従った。

ペテロはイエス様のお言葉通りに行った結果,多くの魚(恵み)が与えられました。
その通りに行うことが大切と教えられました。

マタイ11章29-30節
29:わたしは心優しく,へりくだっているから,あなたがたもわたしのくびきを負って,わたしから学びなさい。
そうすればたましいに安らぎが来ます。
30:わたしのくびきは負いやすく,わたしの荷は軽いからです。

毎日の責任は神が持って下さいます。
神に喜ばれる生活を歩むことが大切です。
聞いて行うことが大切です。

マタイ22章37節
心を尽くし,思いを尽くし,知力を尽くして,あなたの神である主を愛せよ。

これが大切な第一の戒めです。
神を愛する人々は神の愛(アガペーの愛)で満たされて,他の人々を愛することができます。

ヨハネ13章34節
あなたがたに新しい戒めを与えましょう。
あなたがたは互いに愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したように,そのように,あなたがたも互いに愛し合いなさい。

II.神様の御心を行うことによって賢い人と呼ばれる

マタイ7章21節
わたしに向かって,『主よ,主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく,天におられるわたしの父のみこころを行う者がはいるのです。

形式的な信仰は意味がありません。

a)自分の人生の家を建てる二人の人々

マタイ7章24-27節
27:雨が降って洪水が押し寄せ,風が吹いてその家に打ちつけると,倒れてしまいました。
しかもそれはひどい倒れ方でした。

人はそれぞれ賜物が違うので,同じ家を建てなさい,ということではありません。
それぞれの建て方があります。
形も大きさも部屋数もデザインもみな違います。

b)どんな土台の上に立てているか−岩か,砂か

ピリピ2章12-14節
12:そういうわけですから,愛する人たち,いつも従順であったように,私がいるときだけでなく,私のいない今はなおさら,恐れおののいて自分の救いを達成してください。
13:神は,みこころのままに,あなたがたのうちに働いて志を立てさせ,事を行わせてくださるのです。
14:すべてのことを,つぶやかず,疑わずに行いなさい。

ガラテヤ5章6節
キリスト・イエスにあっては,割礼を受ける受けないは大事なことではなく,愛によって働く信仰だけが大事なのです。

大切なのは人生の土台が砂の上か岩の上か,ということです。
近所の家を見て高ぶりを覚えたり,惨めな劣等感を感じたりしがちです。
見た目は確かに違います。
問題は土台がしっかりしているかどうかです。
イエス・キリストの御言葉によって養われている信仰の岩の上に人生の土台を立てましょう。

c)試練が押し寄せてくるとすべてが明らかになる

マタイ24章4-13節
4:そこで,イエスは彼らに答えて言われた。
「人に惑わされないように気をつけなさい。
5:わたしの名を名のる者が大ぜい現れ,『私こそキリストだ。』と言って,多くの人を惑わすでしょう。
6:また,戦争のことや,戦争のうわさを聞くでしょうが,気をつけて,あわてないようにしなさい。
これらは必ず起こることです。
しかし,終りが来たのではありません。
7:民族は民族に,国は国に敵対して立ち上がり,方々にききんと地震が起こります。
8:しかし,そのようなことはみな,産みの苦しみの初めなのです。
9:そのとき,人々は,あなたがたを苦しいめに会わせ,殺します。
また,わたしの名のために,あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。
10:また,そのときは,人々が大ぜいつまずき,互いに裏切り,憎み合います。
11:また,にせ預言者が多く起こって,多くの人々を惑わします。
12:不法がはびこるので,多くの人たちの愛は冷たくなります。
13:しかし,最後まで耐え忍ぶ者は救われます。

問題のない生活はありません。
信仰に入った時に悪魔の試みに疑いや不信の雨が降ってきます。


III.主に拠り頼みつつ生きること

最後までイエス様に拠り頼む人は幸いです。

a)主の愛にとどまる必要性

ヨハネ15章10節
もし,あなたがたがわたしの戒めを守るなら,あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。
それは,わたしがわたしの父の戒めを守って,わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。

Iコリント9章27節
私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。
それは,私がほかの人に宣べ伝えておきながら,自分自身が失格者になるようなことのないためです。

b)主の御心を絶えず理解し,行うように

ヨハネ15章12節
わたしがあなたがたを愛したように,あなたがたも互いに愛し合うこと,これがわたしの戒めです。

ヨハネ15章14節
わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行うなら,あなたがたはわたしの友です。

主の御心を理解して行う人が本当に賢い人です。

c)主に最後まで寄り頼みつつ歩むように

全てを主にゆだねることにより,人生は安全になります。
私が日本に来た頃,まず自転車を買い,次に中古のオートバイを買い,その後ダイハツの小さな車を買って,伝道していました。
ある日堤防を走っていた時,下に見えた砂の所が綺麗だったので,ちょっと下へ降りてみました。
帰ろうとした時,砂の中に輪がはまり込んで動かなくなりました。
堤防の上に立って助けを求めていた時,一台の車が近づいてきて手伝ってくれて,私の車を堤防の方へ引っ張ってくれました。
それはとても感謝なことで,イエス様がしてくださったことでした。
イエス様に従って行けば,安全な所へ最後まで導いてくださるのです。

箴言3章5-6節


NO.188:2009/10/26 (mon) 21:58





Water Garden